人生7回裏

第2話 定年退職は、もう“隠居”ではなくなった

定年退職という言葉には、どこか一区切りの響きがあります。

長く働いた。
よく頑張った。
あとはゆっくり過ごせばよい。

昔であれば、それは自然な感覚だったのかもしれません。
60歳で会社を離れ、あとは年金を受け取りながら、趣味や家族との時間を楽しむ。
いわゆる「隠居」という言葉にも、ある種の穏やかさがありました。

しかし、今の60歳前後は、本当に隠居する年齢なのでしょうか。

私の実感としては、まったくそうではありませんでした。

退職した直後、まず感じたのは、体力的にはまだ働けるということです。
もちろん若い頃と同じとは言いません。
徹夜も無理ですし、無理な飲み会の翌日はこたえます。
しかし、頭も体も、まだ十分に動く。
経験もある。
社会に対して何かできる余地もある。

にもかかわらず、会社という仕組みの中では、ある年齢を過ぎると急に扱いが変わっていきます。

役職定年。
再雇用。
嘱託。
出向。
賃金の見直し。

もちろん企業にも事情があります。
利益を出し続けなければならない以上、年齢の高い社員をいつまでも同じ条件で雇い続けることが難しい面もあるのでしょう。
それは頭では理解できます。

ただ、当事者としては、なかなか簡単には割り切れません。

昨日まで責任ある立場にいた人が、ある日を境に肩書きを失う。
会議での発言力が弱くなる。
部下だった人が上司になる。
給与も下がる。
それでも雇用は続いているのだからよいではないか、と言われる。

たしかに、雇用が続くこと自体はありがたいことです。
しかし、人間は賃金だけで働いているわけではありません。
役割や承認、自分がここにいてよいという感覚も、働くうえでは大きな意味を持っています。

退職や役職定年で失われるものは、仕事そのものだけではありません。
名刺、肩書き、社内の人間関係、毎日の行き先、自分が必要とされている感覚。
それらが少しずつ、あるいは一気に手から離れていきます。

この喪失感は、外から見るよりもずっと大きいものではないでしょうか。

一方で、現代の健康寿命は伸びています。
細かな数字は年によって変わりますが、少なくとも多くの人にとって、60歳や65歳で人生が終わりに向かうという感覚ではなくなりました。
退職後にも、まだ10年、15年、場合によってはそれ以上、元気に活動できる時間が残っています。

これは喜ばしいことです。
しかし同時に、難しいことでもあります。

なぜなら、退職後の時間が長くなったぶん、その時間をどう生きるかという課題も大きくなったからです。

昔のように、退職後は数年ゆっくりして、あとは自然に老後へ入っていく、という時代ではなくなりました。
今は、退職後にもう一度、自分の生活を組み立て直す必要があります。

仕事を続けるのか。
学び直すのか。
地域に関わるのか。
趣味を深めるのか。
家族との関係を見直すのか。
一人の時間をどう扱うのか。

これらを、誰かが自動的に用意してくれるわけではありません。

会社員時代は、会社がかなりの部分を決めてくれました。
出社時間、会議、目標、評価、役割。
不満も多かったのですが、同時に、人生の枠組みを会社が作ってくれていたとも言えます。

退職すると、その枠組みが外れます。
自由になります。
けれど、自由になるということは、自分で決めなければならないということでもあります。

ここで戸惑う人は、決して少なくないと思います。
私自身もそうでした。

定年退職は、もう単なる隠居ではありません。
むしろ、人生の後半をどう設計し直すかという、大きな転機なのではないでしょうか。

そして、その転機は、準備なしに迎えるには少し大きすぎるものかもしれません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
次回は、退職後によく語られる「悠々自適」が、なぜ思ったほど簡単ではないのかについて書いてみます。

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